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神社を主題にした書籍を、話題のサクラチェッカーで調べてみた。

神社に足を運ぶ

人気の御朱印

神社で御朱印をもらうのがここ5年ほどで大ブームになっているようです。私は神社へはよく行きますがその手の流行にはのることも無く遠目で見ています。また、神社に行くと良いことが起きるという本を、私の記憶では2年~3年くらいの間に数冊読んでいるという具合です。

そのような書籍には、大変多くの読者に読まれてベストセラーになり、続編も誕生している著書もあります。

生活の中で身近に神社を意識するのは、年始の初詣のイベントだと思います。

2017年元旦、初詣

2017年元旦、初詣

知り合いの会社の経営者は「北海道神宮」に月初めに必ず参拝しています。

月初めの神社参り

月初めの神社参り

私はといえばそれほど信仰心はないようで気が向くと来ていたという感じです。

今を考え、過去を振り返り、未来に心するには、神社という空間が合っているようです

神社へ行く・行かなくても・・・

先日、北海道小樽市にある「龍宮神社」へ行って来ました。ちょうど「即位礼正殿の儀」で祝日になったので10月22日(火)午前中です。

JR小樽駅から徒歩で約5分の場所にある龍宮神社。

JR小樽駅から徒歩で約5分の場所にある龍宮神社。

そのきっかけを作ったのが以前「BookLive!」で購入して読んだベストセラー「成功している人は、なぜ神社に行くのか?」をもう一度読んだからです。

それが、amazonのKindleストアで、見つけた電子書籍「神社に行っても神様に守られない人、行かなくても守られる人。」です。

この二つの書籍は、表題が神社をテーマにしたもので「行く」という行為で二分しているようです。それが「行かなくても」大丈夫となれば似ているようで微妙に違っています。

感じ方ひとつで変わる

このような感性に基づくことは、それぞれの評価が分かれるだろうと予想したのです。
そこで、最近「偽客(サクラ)・・・当て字」のレビューをチェックするサイトにかけて見ました。

たとえば、デザインの世界やミュージシャンが作り出す一流の音楽も感じ方で評価が変わってしまう部分があるように思います。神様も人間の創造ということを前提で考えると感じる部分スピリチュアルの要素をもったものと思います

では、この本をAmazonのレビューをもとに「サクラチェッカー」にかけてみます。

成功している人は、なぜ神社に行くのか?

成功している人は、なぜ神社に行くのか?

ベストセラーになった書籍なので、Amazonのレビュー数も150を越えてます。それだけ意見が分かれやすい傾向になると思います。

一般的な偽客(サクラ)の多い商品の場合、時間とともに横の棒グラフで見ると「」の形に近づきます。

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「信じるかはあなた次第」の題材のレビュー傾向

「信じるかはあなた次第」の題材のレビュー傾向私は5段階中の「☆☆☆(星3つ)」のあたりがくぼみ「☆(星1つ)」と「☆☆☆☆☆(星5つ)」が長くなる傾向で判断しています。

しかし、この本には実際起こった不思議な事が取り上げられています。

第92代内閣総理大臣になった麻生太郎氏(現 副総理・財務大臣・金融担当大臣)の話が、この書籍には出てきます。

それが、この北海道小樽市にある「龍宮神社」への参拝です。その場所は祖先「大久保利通」のライバル「榎本武揚」が建てた神社でした。

2008年、麻生氏の植樹

2008年、麻生氏の植樹

そこに、宿敵ともいえるライバルだった神社に植樹をして出世を祈願していきます。

その約2ヶ月後の2008年9月24日に、内閣総理大臣に指名されます。その逆転劇とも思える政治は、神がかっていたとも言えます。

その「運を掴んだ」のが、ここ「龍宮神社」とオンコ(イチイ)の木の植樹が、私でも見る事ができる実証です。その他にも神社と運を結び付ける出来事は書かれていますが、一番近い神社を参拝することで確かめることができました。

これが、たまたま偶然というだ、根も葉もない力と考えると低いレビューの理由もわかる気がします。

神社へ行かなくても守られる人とは

神社に行っても神様に守られない人、行かなくても守られる人。」の方は、レビュー数も少なく「合格」と出てきます。

確かに、多くの内容が、かつて家で教えられてきた「しつけ」の範疇であるような印象で、かつて学校で学ぶ「道徳」の授業のような印象です。言葉を換えれば教育から一歩進んだ知育の事柄だと思います。

レビュー件数においては、「成功している人は、なぜ神社に行くのか?」比べて圧倒的に少ないので比較としては成り立ちませんが「合格」と判定されています。

深く内容には立ち入らないですが、ひとつだけこの「神社に行っても神様に守られない人、行かなくても守られる人。」に書かれている一節に目がとまります。

春に咲く「桜(さくら)」は、神様が宿る尊い場所

桜は春を告げる

桜は春を告げる

それは、「さくら」の意味についてです。

言葉の意味というか「 擬音語」としても使われている「さ」は、神様という意味です。

そして「くら」は尊いものが宿る場所と言う意味があるそうです。

「さくら」=「神様が宿る尊い場所」
さきほどあえて「当て字」で書いた「偽客(サクラ)」と「神様が宿る尊い場所(さくら)」が同音異義語であることです。
日本人にとって「桜」は、お花見であったり春を告げる風物詩です。海外の観光客にも「Cherry blossom(チェリーブラッサム)・・・ホワイトハウスへ日本政府が贈った桜」と言われて日本の花のイメージもあります。
また、百人一首にも
「ひさかたの光のどけき春の日に 静心なく花の散るらむ」
と散る桜の花の様子を詠っています。
この二つの書籍は、神社を通して成功を体感する趣旨であるが、行かなくても守られる人は、きっと偽客(サクラ)というおとりを判断できる素養をもった人かも知れないと思います。
それ故に、私はまだまだ神社の参道へ足を運ぶ事を止める事はできないだろうと思う。科学的ではないのでしょうが、目には見えない「」に守られて生きているからです。

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