現在、母が他界し何とか妹は入院して治療を続けている。それゆえ、今だからこそやっと言える。
敬老の日でも失いつつある「敬う」という気持ち
9月17日、今年の敬老の日が終わった。
北海道胆振東部地震の後遺症なのか、毎日が慌ただしいままやっと平常に戻って来たという感覚で、実は忘れていた。祖父母もすでに他界しているし、どちらかと言うと自分が老人の仲間入りくらいの年齢になった。
それが理由で、気にもとめず「敬老の日」は忘れてしまっていたのだろうと思う。身近に敬う人がいないのはいいことなのか、疑問になる。この日を思い出すとすれば、介護の問題だろうと思う。
私の場合は、子供の頃早くに父を亡くなっているし、10数年前に母も他界している。本来なら生きていれば両親も介護年齢になっているが、それも無く今生活している。超高齢化社会をむかえた日本国民の何パーセントが老人の家庭内介護に携わっているのだろうか。
敬老と言う意味がむなしさに変わっていくように思えている。
しかし、妹の事となるとそれ以上に大変だった。若い頃は軽い被害妄想のような症状があるくらいで気にもとめてなかったが・・・。
あの初期症状が出たときに治療ができなかったのか?
人には性格という普遍的な物差しがある。それ故に、誰もにもある「思い込み」が普通より強いのだろうと思っていた。それが、他人との付き合い中での不満はその原因が自分以外にあるとどんどん追い込んで行くようになっていった。
たとえば、家から出るときに忘れていった物を、盗られた・隠されたなどと騒ぐようになってくる。そのたびに、ここにあるよと探してやると一時的には収まる。本来、自分自身の問題だがいつの間にか他人のせいにする症状が強くなっていく。
そんな事が重なって気づかぬうちに部屋の中に同じ物がいくつも溢れかえっていく。
今度は、部屋を少しでもさわろうものなら(片付けるとことまでいかない)
「アレはどこに持っていった?」
「早く返して!」
少しでも位置が変わると、取り上げられた(身内の場合には)という感覚になっていく。
統合失調症を発症したときの対処方法に名案が見つからない
実は、母も同じ病気を持っていた。基本的には症状が改善している途中であった。それでも、日によって体調が変わる。それにより処方される薬をいつの間にか服用しなくなるのも特徴だ。
体調が良いときに、事は起きる。医者から処方された薬を服用しないだけでなく、丸ごと捨てて飲まなくなる。それでも年齢を重ねるとその症状は和らいでいた。しかし、そんな時に娘(私から見ると妹)が同じ病を発病したのだ。
昔、母を病院に入院させて、退院となり通院させるこれまでの長い道のり。その一部終始を知っている妹。この病気に知識のある妹は、病院に行くことをガンとして聞かない。昔と扱いは違うとは言え、おおよそ、想像できるからだろう。
盗られた・隠されたと思い込むのと同じように、病院に行くと「精神病にさせられた」という言う概念にすり替える。母の時もそうだった、自分は悪くないのに・・・といいながら関係する人を敵にする。
最後には、唯一の味方だった私へも母にとっては、理解してくれない邪魔者になった。私は病気を治させるために悪者をかってでた。これと同じことが、再び目の前に起きている。
そして、何よりもこの統合失調症の最大の問題点は、
自分を病気だと思っていない。
それに尽きる。
話を妹に戻すと、そこまで症状が出てくると今で言う「引きこもり」である。
眠れないからと、話をじっくり聞いてあげると、夜通し朝になっても終わらない。仕事に行くと切り上げるが、仕事から帰ってくるとまた続きを話す。永遠という言葉はこんな時に使うのかとも思えて三日三晩をこえて付き合ったことも。
どこまで眠らない体力を維持するのか不思議なくらい眠らない。
目で見える現実と心眼で感じる世界
この病気の悩ましい事は、身内にいるとまわの人に相談できない。意外と思われるかもしれないが、近所では、家族が早く病院につれていけと言います。
果たして、そんな事が可能でしょうか?
たとえば、自分自身に置き換えてみるとわかりやすい。
知り合い(身近な人)から、突然「風邪を引いているようだから病院にいって来れば!」と言われたとします。熱があるとか自覚症状があるなら、素直にその言葉に従うこともありますが、まったくいわれのない症状だったら疑問を感じるでしょう。まず病院には行かないですね。
本人、妹にとってはその状態なのです。
放置しておくと近所からも、そんな無責任な家族と言うレッテルを貼られて、距離を置かれる存在になり、ますます家族全体が孤立していきます。
さらに、当の本人は、奇怪な行動から、いつしか言葉を含めた暴力を受けたりして帰ってくるようになります。自身に取っては身に覚えのない事への中傷から、力や言葉の暴力です。
このような場合、近所というコミュニティの弱さを感じるは、この病気に関する理解度のなさだと思います。力のある者の罵倒などで、一手に悪者に仕立て上げられます。妹は、ますますかたくなな態度になっていきます。
妹の見える正しさと、周りから受ける悪の世界といった感じです。
話すことは妄想もありますが、大半はいたずら半分かもしれませんが、力の暴力や言葉の暴力を受けています。それがますます被害妄想を拡大させて恐怖に変えてしまいます。
近所からの通報などにより警察が自宅に来ることも、交番などに呼び出されることもあっります。おもに不審な行動によるものが多かったように思います。その時、精神の病の事を話すと一様に病院に行くようにと言われる。本来母親が呼び出されていたが、同じ病気なので私が代理で応じたことがほとんどになった。
そこで、本人の意思で病院に行かせるのは不可能である事を言うと決まって、家族で協力して病院につれて行ってください、と促される。
犯罪を犯せば、違った意味で病院に行かせる事は可能なのでしょう。しかしそれは、一度犯罪者なるまで放置するしかない事と同じである。
民事の不介入の立場からだと思うが、今近所から妹への苦情内容は、軽微なことで罪にはならないものなのか?誰からの苦情なのかは伏せられるので、何が起きたのかも抽象的で反論もできない。
見えるのは、警察沙汰になった家への近所からの視線である。そして、妹には言われ知れない「クサイ」「ジャマ」「キチガイ(差別用語)」の罵倒である。
心の病気を才能に変える
この頃に妹を、精神科へ行かせる事ができればと思うことがある。私は行政である区役所や市の機関に何度も足を運ぶ。
精神病であっても、病院に行くのは本人の意思を尊重するという立場を取る。
ここでも、
そんな人をどのように説得して病院につれて行くかが問題である。
と言い張っているのだから。
かといって、私が妹を力づくでどうにか病院につれて行くことは許されない。たとえ騙すように病院につれていっても、本人が保険証を出して受診するなど考えられないくらいハードルが高い。
統合失調症は、現代では薬の服用で症状を抑える事ができるようだ。しかし、そのために入院や加療が遅くなってしまうことで、なかなか通常の生活に戻りにくくなっていくように感じる。
この病気は、反面すさまじい才能を与えてくれる。母は数字の記憶力と計算が、妹はぼやけた残像など不的確に見えたものの的中率(何に使えるかは疑問だが)と幅広い音楽ジャンルでイントロで曲がわかる。
いずれも、同じDNAでも統合失調症にならなかった私には備わっていないものだった。このように、早くからの治療を開始していれば、社会の一員となり何かの戦力にできたかも知れない。
入院、その道のりは遙かに厳しいかった。
私は、幸いにして近所や町内会など無理解のなかでも、行政と警察の協力のもとで病院に入れることができた。今現在は、精神的な障害と年齢による認知症の症状がでていると医師から聞かされた。相変わらず、被害妄想は残っていて長く話すと口論になるので、話は手短にが原則にしている。
用事があると慕ってくるが、都合が悪くなると話が長くなる、性格もあると思うが入院しても変わらない。さらにまわりの環境は妹が入院しても現状は変わらなかった。近所や広域で考えれば町内会でも病気への理解を示す人は、あらわれなかった。何も思い当たる事の無い中傷は、理由を付けて今度は、私の家族に矛先を変えただけだった。(一度付いた印象は、なかなか消えない?)
自分が認められない(信用されない)恐怖からか、どんどん凶暴になってく。
病気を悪化させていく理由に、こんな事もあると思えてる。そんな悩みを持っている家族はどれくらいいるのだろうか?
この統合失調症は、老人介護の状況と似たようなところがあるように思う。認知症による暴力を放置しそれを理解できず放置してしまう。年齢からの認知症なのかそれとも精神的なものなのか、判断がむずかしい。
もっと正しい情報を共有して理解し合う事が、高齢化から超高齢化社会に向かう日本には必要不可欠な問題であると思う。
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これから、何度かに分けて統合失調症のよくある症状、妹を入院させた経緯、近所トラブル回避方法、病院との付き合い方などを書いていくつもりです。
Kindleで半額以下で購入できます。伴侶という立場から書かれた本は少ないと思います。
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